大人なのに社会に適応できない、疎外感を感じる、組織に馴染めない、常にルールに疑問を感じてしまうというあなたがこれからするべきこと

 
変わってる、何か違和感がある、周りと馴染めない、常に疎外感を感じる、ルールの意味がわからない、集団、組織に馴染めない、、、
 
 
そんなふうに長年悩み続けて今現在大人になっても同じ想いで苦しんで生きている人は実はとても多いです。
 
そんなふうに思ってしまう自分を責めて、自暴自棄に陥ってしまう、引きこもりになってしまう、という人は後を絶たない世の中になってしまっています。
 
自分が悪いんだ、、自分は普通とは違うんだ、、周りにとけ込めない自分を責めて、今現在苦しんでいる人も多いと思います。
 
 
それは、本当にその本人に責任があるのでしょうか?
 
それともこの社会そのものに責任があるのでしょうか?
 
 
この物質的に豊かな現代でも、社会そのものはとてつもなく未熟な社会で、人々が幸せになる仕組みが何一つ構築されていないのは確かなことです、、。
 

私自身も昔から社会に適応できない人間でした

 
ここで少しだけ私の話をしますね。
 
小学校の頃から、嫌いなことには見向きもせずに、自分の好きなことばかりをしている子供でした。勉強が嫌いで、全く先生の話には耳を傾けずに、授業中に絵ばかりを書いているような子供でした
 
根拠も無く大人から『ああしなさい』『こうしなさい』と言われることに常に疑問を持っていました。
 
 
何で何度も何度も運動会の練習をしなければならないのか?
 
前倣え、右倣え、って何の意味があってやらされてるのか?
 
どうして話を聞く時は体育座りでないといけないのか?
 
どうして常に集団でいつも同じことをしなければいけないのか?
 
そもそも何の目的で毎日勉強をしなければいけないのか?
 
 
いつもいつもそんなことを考えている子供でした。
 
そして何よりも、みんなと同じように常に呼吸を合わせてなければいけないという空気感に絶えられないこともあるほどでした。
 
 
つまり、常に皆と同じに振る舞い、同じ価値観を持たなければ『協調性が無い』というレッテルを貼られることにもの凄い生き辛さを感じていたんです。
 
個人を個人と認めず、教育ではなくまるで飼育するかのように、何でもかんでもひとまとめにされてしまうことに強い疑問を感じていたのです。
 
 
小学校の卒業アルバムには、『学校教育反対!!』とマジックで大きな字で何度も殴り書きしたくらいです(笑)
 
とにかく学校という場所に強い違和感を感じていたんです。
 
 

自殺すら図った高校時代

 
高校時代は今でも思い出したくないくらいの暗黒時代でした。
 
まるで同級生達は羊のように皆同じように振る舞い、同じことを話し、同じ価値観の中で毎日同じように過ごしていました。
 
そんな中で私のような人間が適応できるわけもなく、少しずつ孤立をしていくようになっていったのです。
 
 
『どうして皆と同じように普通になれないんだろう?』
 
 
その疎外感は寂しさと共に、時には強い怒りにもなったのです。
 
学校に行きたくない!もう辞めてしまおうかな、、そんな気持ちになっても、親は『将来のためだから』と学校を休ませてもくれません。
 
 
一体何の意味があるんだろう?
 
 
そんな場所へ通い続ける意味なんてひとつも理解ができませんでした。
 
そんな中、絶えに絶えて高校3年ともなる頃に、付き合って数ヶ月になった彼女が突然同級生の友達に奪われてしまったのです。
 
 
孤独に絶え、疎外感に絶えている中で支えてくれた大切な彼女でした。
 
もう、独りは嫌だ!
 
私は当時高校生なのにお酒を大量に飲んで、自宅に隠しておいたナイフで自分の左腕や手首を何度も切り付けたのです。
 

高校を卒業して、しばらく平穏な日々が続きました

 
恥ずかしい話ですが、左腕の傷は、今でもしっかりと残っています。
 
尾崎豊の『卒業』が本当の意味で心に響くくらい絶えに絶えた高校をようやく卒業し、短大へ進学して、ようやく念願の一人暮らしを始め、今までにない自由な生活に入りました。
 
 
新しい友達も増えて、ようやく暗黒時代を本当の意味で卒業したのです。
 
学校も自由で(実際遊びに行ってました汗)今までにない自由な人間関係と生活を楽しみ、飲み会、コンパ、バンド活動などごく普通の遊んでる学生になることができたのです。
 
 
この頃は、何者にも縛られず、好きなことだけを楽しんで、これまでの暗黒時代とは無縁な平穏無事な生活をひたすら謳歌していました。
 
就職なんて全く興味も無く、サラリーマンなんで絶対に嫌だ!という気持ちがあったのですが、実家が製造業の自営をしていたということで、卒業後は、実家に戻って手伝いをすることになったのです。
 

古ぼけた社会通念に絶望した社会人生活

 
わずか2年間の平穏な生活の後、本格的な社会人生活が訪れました。
 
自営で製造業と言っても、大きな会社の下請けであり、古い文化で統一されたよくある業界でもありました。
 
毎日同じ時間に出社し、同じ人と顔を合わせ、毎日毎日同じ作業をこなす毎日。
 
 
会社の人間は毎日車かパチンコの話をして、昨日も今日も明日も区別がつかないような、刺激の無い同じような退屈な毎日を過ごしていました。
 
 
ある日、父親が言いました。
 
 
『ゴルフをやれ』
 
 
私が何故かと訪ねると、
 
『接待でゴルフをやらなければいけない』
 
と言うんです。
 
 
 
なぜ接待でゴルフをやらなければいけないのか?
 
なぜ仕事とゴルフが関係があるのか?
 
 
と聞いても『俺は昔からそうやってきた』
 
と言うだけ。
 
 
再び、私の中の何かが沸き起こりました。
 
 
『嫌でも皆我慢してやっている、オマエだけやらないわけにはいかない』
 
 
私の中で一瞬で怒りがこみ上げてきました。
 

テンプレート通りに生きる大人達

 
自分の言葉、自分の意思で言葉を話す大人がほとんどいないというのが現実。
 
彼らは大人の顔をした未熟で未発達な存在です。
 
 
先ほどのゴルフの話でも同じで、そこに理由なんか関係ありません。
 
ただ、そうとされているから、イヤでも我慢をして規則正しく従い、無駄な時間を浪費しているのです。
 
 
皆もそうだ、皆もやっている、自分もそうだった、オマエもそうなる、、
 
 
お決まりのテンプレート通りの発言をして、集団にもたれかかり、誰一人自分の人生を生きていない。
 
集団心理に埋もれ、自分を捨て、個性を捨て、自分以外の何かのために自分の大切な人生を捧げているという現実に落胆していました。
 
 
自分の人生もそうなるのなら、、あり得ない!
 
そんなことを考えているのは俺だけなのか、、??
 
 
そんな孤独感と共に、困惑した日々を送っていました。
 

多勢に無勢、かたくなに古いシステムを拒み続ける

 
大きく古ぼけた組織というのは、常に意味不明なルールが付きまとう。
 
それは、意味があるというよりも、それを我慢して守ることを目的としている。
 
 
『皆が我慢しているんだから、オマエも同じように我慢しろ』
 
『俺もずっと我慢してきたんだ、オマエもそうなれ』
 
 
苦しむ人が増えれば、苦しんでいない人を苦しめる人間が量産されるだけ。
 
ゴルフをしなければ商売が成り立たないという仕組みに絶望的な未熟さと無意味さを感じたのです。
 
 
好きな人はやればいい。
 
ただ、なぜビジネスの仕組みにそれを組み込むのか??
 
全く意味がわかりませんでした。
 
 
多くの人達はイヤだけど我慢をしてやっている。
 
我慢している分、俺は社会人として、嫌なこともちゃんと我慢して受け入れていると大人な振りをする。
 
 
そんなふうに偉ぶり、我慢をすることを美徳のように振る舞う。
 
 
相手は親会社でもあり、大きな組織。
 
普通の権威的な感覚の持ち主であれば、従うだろう。
 
 
しかし、私は納得できないことは徹底的に拒み続けたのです。
 
 

実質、社会には本当の大人はほとんど存在しない

 
もちろんここで言っているゴルフというのはあくまでほんの一例に過ぎません。
 
 
ここで私が気付いたことは、小学生や中学生が、同じクラスの空気感に馴染めない人間を疎外するかのようなシステムがここにも存在していたということです。
 
つまりは、皆が流行のゲームをやっている中、一人だけやっていない奴がいれば、仲間はずれになるというシステムをいつまでも彼らはこなしているのだ。
 
 
規則正しく飼育された羊のように、皆同じ方向を向いて、権威に逆らわず、生きるために自分を殺す。
 
彼らはルールに疑問を感じる前に、それをこなすことをただ目的としている。
 
 
真の大人は自分の足で立ち、自分の目で見て、自分の言葉で話すもの。
 
彼らは単に規則正しく管理され、規則正しく行動しているだけなのだ。
 
 
誰一人建設的に物事を考え、行動するのではなく、羊のように何も考えず、皆と同じように行動することを善としているのだ。
 
それを大人と言うのならば、実際にはとてつもなくまだ未熟な社会と言えるだろう。
 
 
彼らは単になにかしらのごく一部の存在に管理され、心を奪われ、与えられたものをただ我慢し受け入れ、それをこなすことだけに人生を費やしていく。
 
 
大切な大切な自分の人生を。
 
これは密かに多くの人が共感するはずです。
 

インディゴという存在を知ったのはこの頃

 
この頃、なぜ私自身が昔からこういった気質なのかを凄く疑問に思うところがありました。
 
そんな中、インターネットで調べていくうちに、インディゴという存在を初めて知ったのです。
 
ジャンルで言えば、スピリチュアルというカテゴリーになる概念になりますが、私にとって、今までの謎が一気に解けた衝撃的な事実であり、すんなりと自分の中に入ってきたのです。
 

インディゴチルドレン

 
これは、1978年頃から地球に生まれ始めた、今までの古ぼけた社会やシステムを破壊し、全く新しいシステムの社会を創るために生まれてきたいわゆる戦士的な気質を持った新人類のことです。
 
いわゆる、システムバスター的な役割を果たしています。
 
今までの文章を読んですでに納得している人は多いでしょう。
 
 
今までの地球の支配的なシステムを崩壊させ、皆が幸せに、そしてもっと自由に生きられる社会のシステムを創ることを潜在的に『知っている』状態で生まれてきた存在と言っても過言ではありません。
 
そのため、従来のシステムや、集団の中では、自分を上手く発揮することができずに、自暴自棄になるか、自分を殺して引きこもってしまう人が多く存在するというのが現状です。
 
 
 

インディゴチルドレン日常日記

とにかく並ぶのが嫌いなインディゴ

2015年02月18日 18:29
インディゴは忍耐力が無いというのは良く聞く話ですが、僕自身も特に並ぶのが大嫌いです。   よく飲食店に並んでいる光景を見ますが、ちょっと僕には無理ですね、、笑   というよりも、並んでまで食べたいものなんてこの世の中に無い!と言うほど並ばない人間なんで、わかる人にはわかると思いま
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